
初めての、フィリピンでの出産(日本でもしたことないけど)。
ここでは、その一部始終を思い出して書き綴ってみました。
フィリピンでの妊娠生活〜一人目のお話は、こちらです。
フィリピンで出産される方の参考になれば、幸いです。
さて、いよいよ出産予定日が迫ってきました(ドキドキ)。
最終月経からの出産予定日は、9月10日。
日本の母も初孫の顔を見に来ることになっていましたが、
何と予定日の9月10日の便を取っていました。
予定日が近づいてくると、
「お母さんが来ても生まれてなかったらどうしよう、、、。
もしくは、来る日に産気づいたら、夫も私のことを病院連れて行ったり、
空港に母を迎えに行ったりバタバタしちゃうし、
母のことも病院で一緒に長時間待たせることになるし、、、。」
などと、心配になってきました。
早く生まれてきて欲しい反面、初めての出産への恐怖心もあって、
複雑な気分。
予定日が迫ってきてからは、安産の為、
そして早く生まれてきてくれるようにと、
頻繁にモールに出かけて、あちこち歩き回っていました。
私は、妊娠初期の頃からお腹が張りやすく、
ちょっと疲れたりすると、
直ぐに子宮のあたりがきゅーんと硬くなっていたのですが、
それが段々と頻繁になってきて、
腰にも痛みが来るようになってきました。
夫の家族や親戚たちも、
私たちの赤ちゃんの誕生をとても楽しみにしてくれていて、
叔母さんなんかは、
「双子だったら一人ちょうだいネ。」
なんて冗談を言っていたくらい、自分たちの赤ちゃんのように、
ドキドキしながら待っていてくれました。
そして、9月6日には、
赤ちゃんを快適な空間で迎える為に、そして日本から母も来るので、
家の大掃除をすることにしました。
夫と2人で、家の隅々までピカピカに掃除しました。
その日の夜寝る前は、いつもより腰が痛くて、よくお腹が張りました。
「今日はいっぱい体使ったからなぁー。」
なんて思いながら、普通に寝入りました。
すると、暫くしてから、やけにお腹が張っていたので、目を覚ましました。
時間を見ると、午前1時くらい。
いつものお腹の張りよりも強く、腰も結構痛いような、、、。
その時、ちょっとだけ、「もしかして、陣痛が始まった!?」
と思いましたが、
「まさかねぇ。この位の痛みだったら耐えられるし、
ちょっと張りが強いだけかも。」と思うことにしました。
しかし、腰の鈍痛でなかなか寝付けずにいて、
30分程そのままにしていましたが、トイレに行ってみると、
何とおしるしがあったのです。
決定的な証拠(?)があったので、とうとう寝ていた夫を起こし、
「おしるしがあったから、多分そろそろだよ。」
と言うと、夫はかなりビックリした様子で、
直ぐに担当の産婦人科医に携帯でメールをしました。
おしるしがあっても直ぐに陣痛が始まる訳ではないので、
日本の場合、おしるしがあっただけでは病院には行きませんが、
先生からの返事は、
「直ぐに病院に行って。」
でした。
そして、夫と2人でバタバタ準備が始まりました。
いつ出産の時が来ても良いように準備しておいたはずでしたが、その時になると、しなければいけないことがいっぱい!
そして、もしかしたら暫くシャワー浴びられなくなるかもしれないと思い、シャワーも浴びてから、4時くらいになってやっと出発しました。
病院は結構遠いところにあったのですが、
さすが早朝の4時だけあって、道はガラガラで、
1時間くらいで病院に着きました。
(実は、病院近くで急に車のエンジン付近からモクモクと
煙が噴出すトラブルもあったのですが、、、。)
しかし、車の中では次第に腰の痛みが強くなり、
間隔を測ってみると、何と4〜5分!
腰を擦りながら、まだまだ夫と普通に話ができる余裕もありました。
病院に入ると、陣痛室の前に、数家族が待機していました。
しかし、その入り口にはカウンターや窓口などがなく、
隣に座っていた男の人(奥さんが陣痛室にいた)が、
「ドアのベルを鳴らすと、看護婦さんが出てきてくれるよ。」
と教えてくれたのですが、夫はちょっとためらっている様子。
でも、私が腰をさすって深呼吸しているのに気がつくと、
直ぐに立ち上がってベルを鳴らしてくれました。
看護婦さんが出てきて、私だけ中に入りました。
夫とは特別な挨拶(?)もしないで中に入ったのですが、
それで出産後まで会えなかったので、
もっと「頑張ってくるよ!」とか、
言っておけば良かったと思いました。
そして、看護婦さんから渡された問診表のようなものに記入し、
とりあえずそこのベンチに座っててと言われました。
看護婦さんはとってものんきな様子でしたが、
私は結構増してきた痛みに耐えながら、
かがむようになりながら腰をさすってベンチに座っていました。
すると、ようやく看護婦さんがその様子に気がついてくれ、
「あなた、もう陣痛来てるの?」
とちょっとビックリした様子。
そして、分娩用の服を持ってきてくれたので、
それに着替え、さっそく液体を使った浣腸
(分娩の時にふんばっても出てしまわないように)が始まりました。
しかし、その病院はただでさえ出産で人気があるのに、
その日は特別出産が多かったそうで、
陣痛室のベッドが全然足りないとのことで、
「とりあえずこれに寝ててね。」
と、、、、さっきのベンチでした。
もうつべこべ言ってられない状況だったので、
とりあえずそこに横たわって、
背中を自分でさすりながら耐えていましたが、その頃にはもう、
「う〜!」
と声を出さなければ耐えられないくらい、痛みは増していました。
私の場合、腰の痛みが激しかったです。
私の近くにも、同じくベンチに寝かされた人がいて、
同じく「う〜!」とうなっていたので、
なんだか心強い気分。
(これで、私も心置きなく(?)うなれるぞ。)
そこで1時間くらいそうやってうなっていたところ、ようやっと、
「隣の個室が空いたから移りましょうか。」
とのお声が。
陣痛の合間に、すばやく歩いて隣の個室まで行きました。
個室といってもドアはなく、ベッドの隣に色々な機械が並んでいました。
そこも、本当は陣痛室ではないんだとか。
陣痛室は、まだいっぱいで入れなかったのです。
そこに横たわり、そこで初めて、
陣痛の強さを測る機械を取り付けることになり、
お腹にベルトが巻かれました。
看護婦さんは、時々来てくれて、
暫く機械で出てくる陣痛の強さを見たりして、
あとはどっかに行ってしまい、
個室で一人でうなっている自分がむなしくなってきました。
看護婦さんは、隣にいてくれた時も機械を見ていただけだったけど、
私はうなって自分で腰を必死にさすっていたんだから、
ちょっとさすってくれたりしてもいいのになぁと思ったりして。
この後、痛みはどんどん増していって、
体を反らせなければ耐えられなくなっていきました。
看護婦さんも機械を見ながら、
「陣痛強いみたいね、、、。」
と言ってました。
よく雑誌などで、
陣痛中に吐き気をもよおしたという人の話が出ていて、
自分はそんなことにはならないだろうと思っていましたが、
私もなんだか気持ち悪くて仕方がなくなってしまい、
ついに吐いちゃいました。
そして、そこで2時間くらいうなっていたところ、
やっと担当の産婦人科の先生が到着しました。
それまでは顔見知りのいない看護婦さんに
付き添ってもらっていたので、
約半年間顔を合わせてきた先生の顔を見たとき、
どんなにホッとしたことか、、、。
そこで、先生が子宮口の開き具合を見てくれましたが、
まだ2〜3cmなのだとか、、、。
ひょっとして、もう5〜6cmだったりして、、、
とひそかに期待していたけど、ガッカリです。
その時先生に、
「前話しておいた、エピデューラル(無痛分娩の際に使う局部麻酔の名前)はまだやらないんですか?」
と聞いてみたところ、
「じゃぁ、麻酔医に連絡しておくね。」
とのこと。
そして、先生はまた院内の自分の診療室に戻っていきました。
その頃、陣痛の間隔は既に1〜2分になっていました。
私があまりにも痛そうに見えたのか、
看護婦さんが痛み止めの注射を太ももに打ってくれたのですが、
それが、痛みには全く効かず、眠気だけが襲ってくるというもので、
せっかくの陣痛の合間のひと時に眠りに落ちて、
陣痛の痛みで目が覚めての繰り返し。
陣痛の合間の記憶がないので、
休み無しでひっきりなしに陣痛と戦っているような感覚でした。
そして、再び先生が来てくれ、子宮口は5〜6cmになっていました。
そんなこんなでお昼前になり、ついに、
「陣痛室にやっと空きが出たから、移りましょうね。」
とのお声が掛かり、
やっとまともな部屋で時間を過ごせるのかと、
飛び上がるほど嬉しかったのです。
何せ、その個室はかなり狭くて、壁の色も水色で冷たい印象で、
機械しかないなんともつまらない部屋だったので、
陣痛で辛い時に、せめて何か見ていて心が和むものとか、
気休めになるものなんかがあれば、
ちょっとは時間の経過も早く感じるのになぁと思っていました。
ただ、移っても良いと言われて、
しかも車椅子まで用意してくれても、
その頃はひっきりなしに陣痛がきていたし、
体をそらしながらうなっていた状態だったので、
ベッドから車椅子に移ることさえなかなかできなかったのです。
酷い痛みで、体を真っ直ぐに保つことさえできなかったのですから。
看護婦さんも、そのことをわかってくれていたので、
「痛みがちょっと引いたときに車椅子に移ってね。」
と待っていてくれました。
そして、暫くしてから車椅子に移り、
陣痛室に入れてもらいましたが、
そこは今までの部屋とは別世界!
広々としていて、壁の色は暖かいピンク色。
6人部屋で、ゆったりとベッドが並べられていて、
大きな窓からはマンゴーなどの木々が見えます。
ついでに、色々な絵画が飾られていて、退屈しなそう。
しかし、そこにいた他の5人の妊婦さんたちは、
みんな静かに横たわっていて、本を読んでいたり、
携帯でメールを打っていたり(日本では信じられない話ですが、
フィリピンは、院内でみんな携帯を使っています)。
私一人が体をよじらせたりうなったりしていて、
かなり恥ずかしかったです。
そこにも、2時間くらいいたのですが、
やっぱり気を紛らわせられる部屋だったので、
時間があっという間に過ぎました。
暫くすると、再び先生が訪ねてきてくれましたが、
まだ子宮口は7〜8cmなのだとか。
「もう少しで分娩室に移れるから、頑張りましょうね。」
と優しく元気づけてくれました。
次に先生が来てくれた時には、既に9cmになっていて、
「直ぐに分娩室に移りましょうね。そろそろ生まれるよ。」
とのとっても嬉しいお言葉。
「やっと赤ちゃんに会える!」と
「やっとこの痛みに終止符を打てる!」
のダブルの嬉しさでした。
今度は移動用のベッドを用意してくれて、
そこに移されて分娩室まで連れて行かれましたが、
なんせ幅のないベッドだったので、
「体をまっすぐに仰向けに保っててくださいね。」
と何度も言われてましたが、強い痛みで体が全く言うことをきかず、
どう頑張っても体が反ってしまって、看護婦さんに叱られました。
分娩室は、大掛かりな機械が揃ったとても広くてきれいな部屋でした。
出産に向けた準備が進み、麻酔の先生も到着。
無痛分娩の局部麻酔って、
日本では子宮口5cmになったら開始することになっているんですが、
先生がなかなか来なかったので、
私の場合は子宮口10cmくらいの時。
もうあんまり意味ないとも思ったのですが、
それでも、出産の時(赤ちゃんが出てくる時)も
結構な負担になると思って、一応入れてもらうことに。
先ずは先生が、背中の針を刺す部分を丁寧に消毒してくれます。
次に体を丸めて、針を刺す時に動かないように、
看護師さんが私の頭と太ももを両腕でがっちりと押さえます。
分娩用の服は背中が開いていて、紐で縛っていただけですが、
その紐もその時には取れてしまって、もう全裸状態。
しかも、その体をがっちり押さえてくれた看護師さんは若い男の人。
足元の方にも、研修生らしき若い人たち(男女)が
5〜6人くらい私の様子を見ていました。
後から、「研修生には部屋に入って欲しくないですけど。」とか、
「体押さえるの、女の方にしてもらえます?」とか
言っておけば良かった〜!と後悔しきりでしたが、
その時はもう必死で心にも余裕がなく、
「もう何でもいい!」という気分でした。
麻酔の先生から、
「針を刺す瞬間、ちょっと痛いけど、体は絶対に動かさないでね。
脊髄のところに刺すから、動くと危険なのよ。」
と言われ、どんなに痛いのかと思ったら、
刺した瞬間、チクッとはしないのですが、
あの、歯医者で神経のところを削られた時にふっと気が抜けるような
痛さを感じることがありますが、正にそんな感じ。
思わず、体がちょっとピクッと動いてしまいましたが、
問題なかったようでした。
もう子宮口は10cm開いていたので、
いつでもいきんで良かったのですが、
麻酔が効くのを待ちましょうということで、
麻酔をちょっとずつ入れながら、30分くらい待っていました。
麻酔の先生も、無痛にはしないで、
陣痛の痛みは残して自分でいきみのタイミングが
わかるようにしてあげたいという方針で、
私も、無痛だと出産の感動も半減しそうなので、先生に賛成。
麻酔の量を最小限に抑えて、麻酔を少しずつ入れて、
少し痛みが安らいだ位でストップしました。
そして、とうとういきみを開始!
ところが、子宮口は全開でも、
あかちゃんはまだ全然下りてきていなくて、
先ずは、赤ちゃんを下の方に持ってくるために
いきみましょうねと言われました。
そして、看護婦さんが上腹部
(赤ちゃんの足の部分で、私の横隔膜らへん)にのっかるように
して力いっぱい押しながら(そんなにして赤ちゃん骨折しないの?)、
私もいきみを始めました。
そういう場合、下に下りてくるまでにかなり時間が
掛かるそうなのですが、私はいきみがとても上手らしく、
数回いきんだだけで下の方に下りてきました。
先生も、時間が掛かると思って気を抜いていったみたいで、
手で確認した時に、既に赤ちゃんの頭が出てきそうになっていたので、
かなりビックリしていて、ドタバタ準備に取り掛かりました。
そして、
それから2回くらいいきんだときに、
赤ちゃんの頭が出てきた感覚が!
見てみると、きれいなピンク色の赤ちゃんが
逆さまになっていました(お尻だけ見えた)。
自分の赤ちゃんが生まれてきたことが、何だか、信じられませんでした。
そして、「赤ちゃんを産んだ」という
とてつもない達成感のようなものと晴れ晴れしさで、
興奮気味でした。
楽しみにしていた、赤ちゃんの顔を見ようと思いましたが、
全く見えず、、、。
直ぐに同じ部屋で産湯をしてもらい
(その間、赤ちゃんはかなり元気に泣き続けていました)、
きれいになってから、やっと私のところに連れてきてもらいました。
初めての対面。
最初の印象は、「なんか、腫れぼったいな。」と
「唇がぷっくりでかわいいな。」でした。
赤ちゃんのほっぺにチューをしてから、
赤ちゃんは新生児室に連れて行かれました。
待合室で待っていた夫は看護婦さんに呼ばれ、
新生児室の前に行くと、
生まれたばかりの赤ちゃんをガラス越しに見せてもらえたそうです。
その頃、私は産後の処理をしてもらいながら、興奮冷めやらず、、、。
担当の産婦人科医と麻酔医の2人から、しきりに
「あなた、本当にいきみ上手だったわよ。」
と褒めちぎられました(照)。
そして、産婦人科医と麻酔医が2人で、
「やっぱり日本人だから、○X○Xなのかしら。」
とタガログ語で話していましたが、
当時の私はあまりタガログ語がわからなかったので、
肝心な部分がわからず、、、。
(私に話しかけるのは全て英語でした。)
全ての処置が終わり、
今度はおかまの看護師さんが大人用おむつ
(産後の出血があるので)をつけてくれました。
普通なら、その後回復室に移動するのですが、
今度はその回復室に空きがないそうで、
そのまま分娩室で休むことになりました。
看護婦さんたちも部屋から出て行き、
広い分娩室に一人っきりになり、
眠りやすいように電気も薄暗くしてくれました。
しかし、興奮状態にあった私は寝付けるはずもなく、
ちょっとしか見れなかった赤ちゃんの顔を必死に思い出してみたり、
それまでは余裕がなくてよく見れなかった、
周りに置いてあった大掛かりな機械類をまじまじと見てみたり、、、
2時間が長く感じられました。
その間、ふと思ったのですが、
「お母さんが来るのは9月10日で、今日は7日。
普通は産後2日で退院するから、
丁度退院の日にお母さんが来るのか!
私ってなんて上手(?)なんでしょう!」。
やっと看護婦さんのお迎えが来て、
分娩室から出してもらえたのですが、
ベッドを押しながら看護婦さんが、
「今日は病室にあまり空きがなくて、
今あなたの旦那さんが探してくれているから、ここで待っててね。」
と、さっきまでいた陣痛室の前の廊下に置き去りに、、、。
看護婦さんや先生達が忙しく行きかう廊下
(医療関係者以外は入れないところ)に寝かされていた私は、
とても居心地の悪い時間を過ごしたのでした。
病室は、6人部屋なら空きがあるそうでしたが、
夫は個室を探し回ってくれていたそうです。
フィリピンでも、システム化された病院なら、
パソコンで全て空き状況が確認できるのですが、
そこはあまりシステム化されていない病院で、
夫は自分であちこち歩き回りながら空きを探していたのです。
1時間くらいが経った頃、やっと看護婦さんの迎えが来て、
「旦那さんが部屋を見つけたから、行きましょうね。」
と、部屋に連れて行ってくれました。
部屋は、あまり広くはないものの、
トイレ&シャワーが部屋についていて、
TVや付き添いの人が寝る為の簡易ベッド(ベンチみたい)
がありました。
夫は部屋にはいなくて、まだバタバタと手続きをしていたようで、
暫く経ってから入ってきた夫と暫く和やかに話しました。
少しすると担当の産婦人科医が部屋に様子を見に来てくれて、
「とっても元気そうね。産後直ぐの人には見えないわ。」
なんて言われました。
そして、先生は夫と何かタガログ語で話をしていたのですが
、後で夫から、
「先生が、push(いきみ)が凄い上手だって言ってたよ。
メダルをあげたいくらいだって!」
と言われました。
そんなに上手だったの、、、?
夫は生まれて直ぐに、
あちこちの親戚たちに携帯メールをしていたので、
直ぐにあちこちからお見舞いに来てくれました。
私は、普通にベッドの上に座ってお話していたのですが、みんな、
「や、やけに元気だね。本当に産んだの?」
と驚いてました。
私も、何も無かったかのようにエネルギーが有り余っていて、
頭もすっきりしていましたが、普通は、暫くは寝ているか、
ちょっとぐったりと横たわったりしているんだそう。
みんな、お見舞い時においしそうなフルーツを
いっぱい持ってきてくれました。
赤ちゃんとは、翌日から同室になりました。
私は元気だったのですが、食欲はあまりなく、
病院で出された食事は夫に殆どあげていました。
しかし、何故かその日のお昼から急にお腹がすいてきて、
出された食事を全て平らげました。
すると、何とそれから暫くしてから、母乳がでてきたのです。
なるほど、母乳を作る準備ができたので、
その燃料(食べ物)を欲するようになったんですね。
そして、産後2日目の9月10日の夕方に赤ちゃんと一緒に退院し、
お家に連れて帰りました。
家に着いてからも、
赤ちゃんを見るために親戚の訪問が絶えず、、、
でも、それ程、みんなこの子の誕生を楽しみにしていてくれました。
母乳の出が良くて、いつもお腹がすいてしまう私のために、
もともと料理なんて作れなかった夫が、
チャーハンを作ってくれました。
私が料理していたのをいつも見ていたので、
それを思い出して作ってくれたのです。
(当時メイドさんは雇っていませんでした。)
その日の夜、母が日本からやってきました。
生まれたばかりの初孫を見せてあげることができて、ほっとしました。
母が滞在していた2週間、
赤ちゃんのお世話を色々と母から教われたのも良かったです。
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