
ここでは、2人目(下の子)のフィリピンでの出産の時のことを思い出して綴ってみます。
フィリピンで出産される予定の方の参考になれば幸いです。
また、2人目の妊娠生活記や一人目の妊娠&出産記も宜しければご覧下さいね。
同じフィリピンの出産でも、病院が違えばこんなに出産も違います。

さて、出産予定日は8月の下旬となっていましたが、
どうやら出産が早まりそうな様子。
今回も、前回と同様に母が日本から来てくれることになっていましたが、
出産が早まりそうだったので、出産予定日1週間前の便を予約していました。
会社勤めなら産休を取るのでしょうが、
在宅での仕事なので当然産休は取らず、予定日近くになったら、
いつ陣痛が始まるかどきどきしながらせかせか仕事をしていました。
出産後は直ぐに退院して仕事をする予定でしたが、
それでも2、3日は仕事に手が付けられなくなりますし、
その間に締め切りが来てしまう翻訳があっては大変だと思い、
その日に来た翻訳はその日のうちに全て終わらせて、
いつ陣痛が来ても問題のないようにしていました。
8月12日(予定日の2週間ほど前)、いつもの様に来た翻訳を全て終わらせ、
眠りにつこうとしましたが、何だか腰が痛いというか、重いというか、、、。
でも、その頃は腰の重みはいつも感じていたので、
あまり気にせずにそのまま寝てしまいました。
しかし、夜中の3時頃には寝る前よりも重たくなった腰の痛みで目覚め、
「もしかしたら、、、。」
と思ったものの、まだ確認できるほどの痛みではなかったので、
もう少し様子を見ることに。
携帯電話を取り出して、痛みの感覚を見ながら、
そのまま1時間ほど待ちました。
一人目の時もそうだったのですが、私には10分間隔というものがありません。
最初からもう5分間隔で、4分、3分となっていきます。
その時も5分間隔くらいになっていて、
様子を見ていた1時間の間に次第に痛みが増してきて、
ちょっと腰をさすらなければ辛くなってきました。
ここらでそろそろ夫を起こして病院に行く支度をしなければと思い
(妙に落ち着いていました)、
でもちょっとその前にトイレに行くことにしたのですが、
前回と同様におしるしが、、、。
前回と殆ど同じパターンで、本当にわかりやすいですね。
さっそく夫を起こし、
「病院行こう。もうおしるしもあったよ。」
というと、飛び起きてくれました。
前回はそこから準備に時間がかかってしまいましたが、今回は準備万端。
当時お手伝いさんを雇っていなかったので、
近くに住んでいた妹に暫く家に泊まりこみで助けてもらうことにしていたので、
その妹を起こして、まだすやすや寝ていた上の子のことを頼むとお願いしました。
妹は、歯ブラシやバスタオルなどの荷物をせっせと詰めていた私を見て、
「お姉さん、こんなに平気そうなのに、どうしてもう病院行くの?」
みたいな顔をしていました。
私自身もまだ全然普通に動ける状態でしたが、
一人目の時は初産にしては安産だったので、今回は経産婦だから進みが速いだろうし、
結構早く生まれそうな勢い(?)を体で感じていました。
病院には近かったのですが、早朝だったこともあって5〜10分程で到着し、
5時くらいに救急の入り口から入り(早朝だからそこからしか入れない)、
受付に行くと車椅子を用意してくれたのですが、
結構元気なので車椅子に乗るのも恥ずかしいので、
歩いてLDR(陣痛・分娩・回復室)までいくことにしました。
中に入って直ぐに着替え、赤ちゃんの心音を聞く機械や
陣痛の強さを測る装置などをつけたりしていた間、
夫は入院の用紙や出生証明書の必要事項を書いていました
(生まれる前にもう書いちゃうこともあるんです。勿論、赤ちゃんの名前も書きます。)
子宮口の開きにはかなり個人差があり、数日間掛かる人もいるので、
LDRには子宮口が5cmになったら入りましょうねと言われました。
それまでは、LDRの部屋の脇にある部屋で寝て様子を見ていて、
夜間担当の産婦人科医が子宮口の開き具合を調べてくれることになりました。
男の先生だったので抵抗がありましたが、
仕方ないので(でも優しい方でした)内診してもらうと、まだ3cmくらいだとか。
そこで、インド人女性が寝たベッドが隣に運ばれてきました。
直ぐにカーテンが引かれたので良くは見えませんでしたが、
暫くそこで何か準備をして、直ぐにLDRに運ばれていきました。
その人は、帝王切開なのだとか。
インドでは、上流階級ならみんな自分で出産日を選び、
帝王切開で出産するのだそうです。
私には、帝王切開の方が怖いけど(後々痛そう、、。)。
その後徐々に腰の痛みが増してきて、夫に腰をさすってもらっていると、
再びさっきの産婦人科医がやって来て、また子宮口の開きを見てみましょうとのこと。
すると、もう5cmになっていました。
さすがに経産婦。一人目の時の5cmとは違います。
まだ耐えられる痛みなのに、もう5cm。
病院に入ってから1時間経った6時のことでした。
看護婦さんは、
「えっ?もう5cm?さっき来たばかりなのに。」
とびっくりしていましたが、LDRに入る準備を始めてくれました。
LDRは、結構大きな部屋で部屋の中に全ての必要な機械が備えられていて、
でもあまり機械的な雰囲気が無く、窓も大きくて眺めの良いとても気持ちの良い部屋でした。
入ってから看護婦さんたちがちょっとした準備を始め、
夫も手術の執刀医みたいな服に着替え、
そこへ丁度私の掛かりつけの産婦人科医と麻酔医(今回も無痛分娩)がやってきました。
麻酔の先生も女で、かなりの美人で一見イタリア人とかに見えそうな感じ。
産婦人科医の先生と一緒に、とても優しく色々話しかけてくれました。
さっそく麻酔を入れることになり、私は横向きになって丸くなり、
針を刺す瞬間の痛みで動かないように、
夫が私の首を足をがしっと両腕で押さえ込むようにし、
麻酔医が背中を丁寧に消毒した後にプスッと針が刺さりました。
そして、少しずつ麻酔を入れていき、
30分くらいたってから徐々に麻酔が効いてきて、少し楽になりました。
その先生も麻酔の入れすぎは好きでないようで、
ちょっと痛みが残るくらいがいいと思っていたようでした。
私も同じ考えで、我慢できるくらいの痛みを残してもらいました。
後は子宮口が開くのを待ちましょうということで、
先生たちや看護婦さんたちは部屋から出て行き、
何かあったらベッドに備え付けのボタンを押してくださいとのことでした。
それからは、私と夫で部屋にあったテレビでNHKのサッカーの国際試合を見たりして、
くつろいでいました。
「これから出産する人には見えないね〜。」
なんて言いながら。
朝食をとり終えて先生たちが戻ってきたのは7時半。
産婦人科医が子宮口の開き具合を調べると、もう8〜9cm。
先生と看護婦さんたちはばたばた出産の準備を始め、
新生児室の看護婦さんや看護師さんたちも3、4人入ってきました。
別の妊婦さんの部屋も同時に担当していた麻酔医が戻ってきて、
「麻酔入れても、効くまでは時には叫んだり、
痛みのせいでこっちに向かって怒りをぶつけてきたりする妊婦さんが多いんだけど、
あなたは静かに耐えてて偉いわね。」
とお褒めの言葉をいただきました。
出産という大変な時にも、
自分はフィリピンでは外国人であることを強く意識してしまいます。
私一人の言動で周りの人の「日本のイメージ」が決まったり、
「日本人ってこうなのよ。」と話されたりするので、
「日本のイメージ」が悪くならないように気をつけなければと思ってしまいます。
ちょっと大袈裟ですが、「日本人出産のときうるさかった」よりも、
「日本人出産のときも静かで優等生」の方がいいと思って、
ちょっとの痛みは静かに耐えました(笑)
全ての準備が整い、産婦人科医の先生が再び子宮口を確認しようとすると、
子宮口の開きがどうのという問題ではなく、もう赤ちゃんの頭がすぐこそにあり、、、
つまり、出かかっているとのこと。
「もういきんでいいわよ。」
と先生に言われ、夫はビデオの準備を始め、
前回と同様に看護婦さんが赤ちゃんを押し出す為に私の上腹部あたりに
半分のっかるようにして、次の陣痛の痛みが来た時にいきみました。
しかし、最初の1回目は実はあまり力を込めていきみませんでした。
というのも、今回は浣腸をしていない(病院によってやるところと
やらないところがある)ので、力強くいきむのが心配だったんです。
でも、この場になっていきまないこともできないので、
もうどうにでもなれと2回目は力強くいきみました。
するとどうでしょう。もう赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
足元の方を見てみると、先生が赤ちゃんの両足を持って逆さづりにしています。
(羊水や血液などで赤ちゃんが窒息死にないように。)
元気良く泣く赤ちゃんを夢の中で見ているような感じで、
あまりにも直ぐに出てきてくれたので、
自分でも本当にもううまれたの?と信じられない感じでした。
夫は、少し涙ぐんでいました。
生まれたのは8時31分。
病院に入ってから3時間、LDRに入ってから2時間ちょっとで生まれた超安産でした。
夫はビデオを看護婦さんに手渡して代わりに撮ってもらい、へその緒を切りました。
赤ちゃんはすぐに産湯につかり、
体重を測って退院時にもらう足跡をとった後、
タオルに包まれて私の胸の上に置かれました。
夫は、まだ元気良く泣き続ける赤ちゃんを見て、しきりに
「かっこいい、、、。」
と言っていました。(生まれたばかりのしかも泣き顔なのに、、、?)
今回も、産婦人科医と麻酔医の2人から、
「あなたは本当に良い患者さんだったわ。」
と褒められました。
よほど簡単に終わった出産だったのでしょう。
しばらく赤ちゃんと一緒にいて、その後赤ちゃんは新生児室に連れて行かれました。
私は後処理を終え、
出されたジョースを飲みながらまたTVを見ながらそのままベッドで体を休ませていました。
夫は、親戚たちに電話やメールで赤ちゃんの誕生をせっせと報告していました。
家で上の子を見てくれていた妹にも電話をして、
「もう生まれたから、病院に連れてきてね。」
と言うと、妹もスピード出産に驚いていました。
どこかで、腰に陣痛が来る人は安産だという話を聞いたことがありますが、
私が正にそれです。
小さい頃、自分が難産のタイプだったらどうしようと思っていましたが、
安産タイプで本当に良かった!
前回と同様、出産直後もエネルギーがみなぎっていてとっても元気だったので、
勿論寝ることもできないし、2時間も回復時間がいらないので、
1時間でもう部屋に移りたいと言ってみたところ、直ぐに移れることになりました。
部屋は個室でとっても広く、
室内のトイレ&シャワーにも車椅子が入れるほど広々していました。
勿論TVもあるし、大きな窓があって明るくて、
付き添いの人が寝れるソファーベッドもいくつかありました。
その後、運ばれてきたお昼ご飯を食べていたときに産婦人科医が様子を見に来てくれました。
座ってごはんをもりもり食べていた私を見て、
「出産直後の人とは思えないわね。」
と、、、。
そして、会陰が痛んだときの痛み止めの薬、便をやわらかくする薬、
そして、母乳の出を良くする薬(植物から抽出されたもの)を処方されました。
その直後に今度は小児科医が入ってきました。
その先生は、いとこの子供もかかっているとても優秀な先生で、
生まれる前から指名しておいたのです。
これまた凄い美人で気品を醸し出す先生なのですが、
とっても優しいし、本当に優秀な先生なんです。
「あなたの赤ちゃんの検査を終えましたよ。とっても元気で何も問題点はありません。」
とのこと。
そして、やっと主人の妹が上の子を連れて病院に到着。
娘とはたった数時間離れていただけですが、随分長い間会っていなかったように感じて、
娘の方も、何だかいつもと違うベッドで違う服(病院の服)を着て
変なものくっつけてる(点滴)私の近くに来るのが恥ずかしいようでした。
直ぐに慣れましたが。
当日からトイレも自分で歩いて行っていましたし、
シャワーを浴びたり新生児室に息子を見に行ったりしていました。
その日の夜は、出産した患者さんへのご褒美ということで、
豪華なディナーが私と夫の二人分出されました。
料金には入っていなくて、病院からのプレゼントなのだとか。
前菜やビーフステーキ、ベークドポテトやチョコレートケーキなど、
とっても美味しかったです。
私も元気満々で、娘と息子の世話をするには自宅の方がいいので
、翌日には退院することに。
夫は、早速朝から会計に走り回りました。
フィリピンはとにかく会計手続きが不便な国で、それは病院も同じ。
ナースステーションでの支払いの他に、産婦人科医への支払いも別で、
別病棟にある先生のクリニックまで行って払うのですが、
先生が外に出ていたり患者さんの診察中だったりしてなかなか支払いができなかったり、
他にも麻酔医と小児科医への支払いもそれぞれのクリニックに行って支払いをしたり、
面倒くさいんです。
そんなこんなで全ての会計を済ませ、
退院手続きを済ませてから新生児室に赤ちゃんを迎えに行きました。
赤ちゃんの着替えとおくるみを渡して着替えさせてもらい、
赤ちゃんは新生児用ベッドに寝かせられたまま、新生児室の看護婦さんがベッドを押して、
車のところまで行きました。
(車に乗せるまではベッドで連れて行くのがその病院の決まりなんだとか。)
車の中で、上の子(娘)は赤ちゃんを不思議そうに見つめていて、
時々頭をなでなでしたりしていました。
家に戻った翌日、夫の両親が田舎から赤ちゃんを見に来てくれ、
マニラ首都圏内に住んでいる親戚達もぞくぞくと訪れました。
(私はその日から、入院中=といっても2日間=に入った大量の翻訳の仕事開始。)
日本の母も生後1週間目頃に来てくれ、抱っこしてもらうことができました。
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